忍びに必要なのは、黒き衣ではなく、“目立たぬ心”である
世の人々が思い描く忍者と申せば、決まって黒装束に身を包んだ者であろう。
だが――わしら忍びの者にとって、あの黒こそ、もっとも慎まねばならぬ色である。
なぜか。
それは、“目立つ”からじゃ。
闇夜において、黒き衣が完全に同化するというのは、あまりに都合の良い思い込み。
実際には、月明かりや灯火に照らされれば、漆黒はかえって輪郭を際立たせることも多い。
影は黒ではない。
夜の闇は、濃紺や鼠色、土の色のように、混ざり合い曖昧なもの。
そこに真っ黒な者が紛れれば、かえって浮いてしまうのじゃ。
ゆえに、わしらが選ぶのは“目立たぬ色”。
町人に紛れるなら町人の衣を、山中であれば山伏や猟師の装いを真似る。
姿を偽り、声を偽り、気配を消す。
それが忍びの本道。
真の強さとは、“そこに居て気づかれぬこと”
誤解しておる者は多いが、忍びの術とは派手な動きや超常の力ではない。
忍者の本質とは「存在を消す術」に他ならぬ。
わしが若き頃、師にこう言われたことがある。
「刀で勝つより、姿を見せぬ方がはるかに難しく、はるかに強い」
忍びとは、戦わぬためにすべてを尽くす者。
勝ちを奪うより、争いを避ける。
そのためには、まず気づかれてはならぬ。
目立たぬこと。
それこそが、真の強さ。
現代に生きる者たちへ――忍びの教え
わしら岡山忍者隊「葉隠」は、ただ演じるだけの者ではない。
この地に息づく忍びの知恵と心を、今に伝える者である。
現代は、自己を主張しなければ埋もれる世の中かもしれぬ。
されど――
己を押し立てず、周囲に調和し、必要なときだけ静かに力を発揮する。
そうした生き方こそ、忍びの精神が最も輝く場面ではないかと思う。
騒がず、浮かれず、揺るがず。
わしは、そうした者こそ、本物の強さを持つと信じておる。

